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- 2020.10.07 Wednesday
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パクチーキャラクター
bar電気草のミステリアスなママ、通称『電ママ』。
その占いの的中率は驚異的で政権交代や東京オリンピックも的中させ、財界人もお忍びで通うと噂されている。
このキャラクターは3年くらい前に私のなかで創られていて、いつかまつりさんに演じて欲しいと思っていたのです。
ミステリアスと書きましたが、はたから見たら完全に危ない人です。近付きたくない感じがします。
彼女は占いにコケシを使います。
さて、ここからはコケシの話です。
コケシと言えば、東北の民芸品のあれです。
もともとは小さな子供が“オママゴト”をするときに、子供の子供としての役割を担った人形です。
俗説、都市伝説として、『こけし』の由来が“子消し”もしくは“子化身”とする説があり、いまでは否定されていますが、とても今回のキャラクター造形には影響を受けました。
明治より以前、東北の貧村では“口減らし”という悲しい文化があり、親が子の供養のために、コケシを持ったというような話です。
同時に民俗学大好きな私は、オシラサマを思い出します。あの千と千尋の可愛いダイコンの神様ではなく、東北の民間信仰にある木で作られた神様です。
こけしの起源が、オシラサマという説もあります。
同じ東北。木でできている。着物を着ている。などなど、確かに似ている。
このオシラサマも調べれば調べれるほど不思議な存在で、
桑の木なんですが、桑と言えば蚕。
蚕といえば絹。
絹も古来より日本の伝統的な産業で、オシラサマさまはこの蚕信仰に結びつけて考える話もあります。
今では、はいはい絹ね蚕ね、という一般常識ですが、古来中国ではトップシークレットで、西洋への貴重な輸出品でもあり、あの美しい絹織物が、昆虫の出した糸というのを決して漏らさなかったと言います。
この日本と蚕の話をはじめると、秦氏の話もはじめないといけないので、ここまでとして、またいつか書くとして、話をコケシに戻します。
えろい人は、すぐコケシをえろ変換して考えますが、それは薬事法とかいろいろあっての性玩具の話であって、ここでは関係ありません。あっ、けどビミョーには関係してます。
これは全く逆の木ぼこに由来するという俗説があるからです。
このように、コケシには、子供そして母親というのがキーワードになってきます。
そこから深く掘っていき、今回のキャラクターができていったのです。
なにか書いていて、それが完成するまでは新しい小説を読まないようにしてる。
無意識に影響されたらヤだから。
頭の中のジグソーパズルがどう組み上げるか自分でもわからないのだから、あまりその設計図になりえるものを入れたくない。
そう思ってます。
けど、全部今抱えてる本を書き終わったので、やっといろいろ本が読める。なんせ最近やたらと移動時間長いので、本読む隙は結構ある。
面白い本(物語)とそうじゃないものの差ってなんだろ?
全然辻褄あってなくても面白いのあるし、物語は平坦だけとなんか面白いのもある。それが作家さんの持ち味なんだと思う。
私個人的なあれで、なんか、その物語の世界の、“現実ライン”が、ふわふわしたのは嫌いです。
現実ラインって、勝手な言葉で言ってるけど、その物語世界で、どこまでが現実的なのかってことを示す基準ラインみたいなの。
スーパーマンがフツーにいる世界なのか、この現実と何も変わらないくらいのリアルな世界なのか。
最初は何もかもリアル路線で進めていて、オチ近くで突然ご都合主義が乱発されたら萎える。最近からご都合主義な世界だったら全然良いんだけど。
なんかバランス変な感じする。
いきなり初っぱなが無茶苦茶であとはリアルならまだなんかイイ気もする。ある朝目覚めたら自分が巨大な虫になってた。とか。
物語で萎えるのは、突然の知り合い、突然の兄弟、突然でビックリ衝撃与えるの失敗して、逆に読み手を退かせちゃったかんじ。
奇跡とか愛の力とか説明不可能なことで片付けようとしたり、登場人物の今までの行動原理なら作者の都合でいきなり逸れることしたり。
わかるの。書いてて。
おまえ(登場人物)、今、こうしてくれたら物語の進行は楽なのに、なんでそうしてくれないのー?って。
ここで、こうなったら面白いかもだけど、世界観が現実ラインが、あわわわわと自分で砕ける。
けどそれって結局バランスなんだよなーと思うのです。
お客さんの感情移入って、諸刃で、一回裏切ったら戻ってこないの、そしたらもう面白くない話になっちゃう。
ほんと難しーよねー。。。
依頼あればほいほい脚本書くトキータです。
一週間で!とか3日で!とか無茶苦茶な依頼もドンと来い!と、なんでも受けてたちます。
変な場所、難しい状況、縛られれば縛られるだけ喜んで書きますが、自分んとこの劇団メンバーにもドSです。
あんまり練習で厳しくするのは私の本意ではないので、私は脚本をそうします。
脚本にも難しいとか簡単があります。感情の起伏がなかったり、変化がなかったり、表現がストレートでわかりやすかったり。
勿論、難しい本の方が観客側は、おおぉっー!となります。細かい登場人物の心の変化を演技で表現するわけですが、それが細かく複雑になればなるだけ難しくなっていきます。しかもそれを表現しないと、次のシーンが意味不明になっちゃうとかあると、意地でも仕上げていかなきゃと追い込まれてしまいます。
なんでそんなことするのか?
人はできないことがあると、それを乗り越えようと努力します。
すると演技力もあがります。
スポーツと同じです。練習練習。けど、こちらがやれ!やれ!の練習より、自主トレのほうが大事だったりするもんです。
役者は常に成長が必要です。
劇団を毎回見に来てくださる常連さんはそれを楽しみに来られている方もおられます。終演後私を見つけて「◯◯さん、うまくなったねー」とか話しかけられたりもしました。
これもまたスポーツと同じですが、練習したらその分、必ず戻ってくるものです。
今はとにかく練習練習の日々です。
みんながんばっております。
音楽には細かくなんかジャンルあるじゃないですか、ロックだけでもハード、メタル、パンク、オルタナティブとかとかとか。
演劇って難しいよねー。ストレートプレイはわかる。朗読劇、ミュージカル、スラップスティックも。うにを“ウェルメイド・プレイ”とおっしゃった方もおられた。
会話はなるべくリアル。キャラクターはコントっぽい。
なんかポエミーな独り言をいっぱい言うようなお芝居ではないです。あーゆーステキなセリフ書けない。詩的さゼロだから。
なんてジャンルだろ?
やっぱり、根底にあるのは、アホだよなー。
アホありき。
真面目お芝居って、短編とかで稀にやるけど、ちょっと難しい。お客さんからのリアクションないから。ドキドキしちゃう。コメディは笑ってくれたら、ウケてるってわかるから安心できる。
真面目〜、やりたいけど、むずかしーし、うにではやらないなー多分。
そこはパクチーが違法になった世界。
大阪は本町にあるパクチー専門店、パクチー好きの間では有名なGoGoパクチーさんで公演されるお芝居です。
そも、この話のスタート地点はどこなのか?ということを考えると、結構過去に遡ります。
劇団メンバーの大盛り桂子が、他のところでお芝居に出る。。。まぁ、団員が客演でいろんなところに出演したりするのはよくある話なのですが、まずそんなことがあったのです。
そして大曽根クルールが一人ミュージカルというものに出る。確かに彼はミュージシャンなので音楽的才能があり演技もできるのでミュージカルは向いているジャンルだと思いました。
そして、藤白奏やいつも客演してくださる末光さんなどからも、そのいろんなところで関係してくるある団体について知ることになります。
それがモンゴルズシアターカンパニーさん。そこの代表である増田雄氏が劇団ウンウンウニウムを(必要以上に)高く評価している。
という話を聞いていました。
基本的に誰かに褒められても無関心の私は、そのままスルーしていましたが、末光さんから増田氏の間を取り持つような形で、まずはTwitterかなにかで繋がり、「脚本書いて欲しい」と依頼いただいたので、ほいほいと書き下ろし。そして何かの流れで「劇団ウンウンウニウムと何かをやりたい」とお誘いを受け、誘われたら断らない劇団ということで何でも受けてたつぜ!と、ここにモンゴルズとうにが組みことになったのです。
増田氏から、ロングラン公演、なおかつ少人数という依頼のもと、縁深い大盛り、大曽根。そして、あとのまつりと宇佐美みおの四人がキャストとして参加することになりました。
で、会場にはいくつか候補があったのですが、その中で私が一発でココがイイ!と言ったのがGoパクさんでした。なぜか?それは私がパクチー大好きだから。
で、早速、増田さんと細かい話、Goパクに行きオーナーさんなどとお話させていただき、そのときパッと思い付いた「パクチーが違法の世界とかどうです?」って感じで内容は決定されました。
さて。
私たち劇団ウンウンウニウムは、何より好き勝手にやってきた集団です。放送禁止用語も叫びますし、偏見だって悪口だって言います。それは我々は助成金も受けてなければスポンサーもいない完全にアウトローな輩で、謂わばそこらにたむろしている恐いお兄ちゃんたちとなんら変わらない好き勝手やってる奴らだったのですが、
今回は違います。お金を出してくださる方々がバックにおられるわけで、下手なことできません。いわゆるコンプライアンスってやつです。Goパクさんは飲食店。いきなり舞台上で卑猥な言葉とか言っちゃダメだよね?と心のどこかにブレーキをかけていました。
さらに言ってしまえば、今までの見に来てくださるお客さまは、よくうにを知ってくださっている常連さまも多く、この劇団の奴らはこーゆーことやる人たちだ的な、そーゆーのわかってくださる温かい方々ばかりでした。けれども今回はほぼほぼ初見。なにこの人たち?的な、アウェイな、そーゆー場所に放り出されたような恐怖心がありました。
そんなわけで私はかなりかなり脚本書くのに苦しみました。
自分のなかのルール。
・わかりやすさ
・ロングランなのでもう一度見たくなる仕掛け
という相反する2つをどう片付けるかにも悩みましたし、パクチーが違法→パクチーは悪いもの→パクチーを悪く扱う奴ら(悪役)という図式がすぐに思い付いたのですが、同時にここはパクチー専門店でお客さんの何割かはパクチー好きの方々。パクチーを悪く描くわけにはいかない。
そんな2つの矛盾に苦しみ。書き上げた本は、パクチーのロンダリングでお金を儲けようとする奴らとそれを騙してお金を巻き上げようとする詐欺師の話でした。
何度も何度も推敲して最後まで書き上げました。そしてキャストにも読んでもらいました。反応は「ム〜ん」と芳しくないもの。その反応は予想通りでした。自分でもそう思っていたから。だから私は全く違うストーリーをもう1つ用意してました。つまり二本書いてたんです。この二本目はかなり好感触でした。結局、自分をガチガチに縛りに縛って書いたものは全く面白くなく、片手縛られてるくらいで書いたもう一本の方が、自分のメンドクサイ部分(毒)が薄れ、読んだ人から言わしたら“一般受けする”ものになったわけです。
私はどこかヒネクレてて、実験的だったり、こんなのフツーな話はヤだ!とか、ご都合主義はヤだ!とか、逆にこんなヘンな話どう?とかスネた笑いとか、そーゆー自分好みを多用するばかりに、一般受けから離れていたのかもしれません。
つまり、ここにきて、こう言ってよければ『一般受けができる本』が私にも書けたのです。「変なpride捨てちゃいなよベイベ」
というわけで、うに公演では自分中でタブーにしてた自分ルールも解禁して、結構演劇に近付き、いつのまにか築いてた自分らしさの檻の中で、なんちゃらかんちゃら。
この新しく書いた脚本は何度か推敲するうちに完成度もあがり、二度三度見ても楽しめる内容となりました。さらに全員から「この本、面白い!」と言われたことない反応が起こるまでになりました。
いろんなドラマがあり、いろんな思いも交錯し、登場人物全員に目的があら、そして。。。
なんていうか、いろんなアイデアなどをストックしていってますが、最後の最後に絞り出されるのは、自分の内面的なものなんだな、とな改めて思いました。
いま、自分が一番求めているものというか、とても恥ずかしいですが、そういうことなんだな。とか。
『なんだかぼくたちはパクチー』
ご予約はこちらからです。
宜しくお願いいたします!
https://www.quartet-online.net/ticket/coriander
小劇団の武器と言えばそのアングラ感。
メジャーメディアでは表現されない人間のリアルなドス黒い心の暗部などをドンドン出していけるって部分もあると思ってる。
それゆえ、麻薬、売春、犯罪などなど、どちらかと言えば悪いことを生業とする登場人物も多数出てきたりする。
けどちょっと待って。わかる、物凄くわかる。やりたい。あのー、なんだろ、なんかあったじゃない。スワッピングパーティを舞台にした人間模様とか、集団自殺のために集まった子供たちとか。
けどだよー、こーゆーのは中途半端にやるのが一番カッコ悪い!それは避けたい。ダサくはなりたくない。
それが失敗してる人たち山ほど見てきた。何が原因?多分リアリティー。絵に説得力がないの。実際に麻薬中毒じゃないから麻薬の感じがわからない。だいたいがやり過ぎちゃう。酔っぱらいならリアリティーあるの。銃を持つのもやっぱり馴れてない感じ出ちゃう。基本がわかってないから。けど日本刀とかの殺陣ならかっこいいの。
で、私は考えたです。
逆だ。逆転だ。
例えばパクチーだ。
パクチーを違法にして、それをこっそりやっているって世界にしよう。
麻薬のメタファーなのはすぐわかるけど、パクチーをムシャムシャ食べる。うん、リアルだ(?)。