カタチになると嬉しい

なんせどうしたわけか、その才能を母親のお腹に忘れてきたのか、私トキータには音楽的才能が皆無です。

小学校時代、リコーダーもまともに吹けませんでした。音楽会は吹いたフリで誤魔化していました。


うには、いつからかテーマソングというものを作るようになりました。ドドド素人の私が、大曽根クルールくんに「こーゆーこーゆーのよろしこ」とぶん投げると、彼はホホイホホーイで作ってくれるのです。


今回とデモ的なものを聞いたのですが、おおおぉぉ、いい!

いいねー。


これからどうなるか、今回はいつもと違うんだぜー。


みなさまも楽しみに!


演劇っていっても

ほんとにいろいろありますよねー。

ほんと。ほんとに。




格言的なもの

“彼方のアストラ”から格言的なセリフをひとつ。


『できないのはいい。やらないのはダメ。』





そろそろ煮詰まる時期

ずっと練習してると煮詰まる時期があるものです。


正直どーなんねん?

自分の演技あってる?

集客やばい!

とかとか。


そーゆー考えがグルグルまわって、練習楽しくない、苦痛だ、なんではじめたんだ。。。って思いはじめるのです。


けど終わったときには、やってよかったと毎回思うんですよねー。


「虚構演劇」フライヤー

だいたい毎回フライヤーのデザインは私がやってるのですが、今回はあとのまつりさんデザインであります!




 


とってもステキ。

毎回、デザインして欲しいわ。


絵のチカラ

説明するより、もうビジュアル見ていただいた方がはやいと思います。

はい、どん!



こちらが「もし全ての女の子が日記をつけていたら」のフライヤーになります。

同時にビジュアルイメージ。こんなかんじ。

説明はいらない。こんなかんじ。



ゲームをした記憶

思えばゲーム世代でした。

小学生でファミリーコンピュータ。

中学生でスーパーファミコン。

テレビゲームの進化と共に成長した世代です。


と、言うわけで目の前にスーパーファミコンミニがあるのですが、収録ゲームに「ファイナルファンタジー6」があるのが嬉しい限りです。

当時はFFなどと呼ばすに、ファイファンと言ってました。私トキータが一番好きなタイトルが6です。鬼のようにやり込みました。

今でも覚えています。なんの予備知識もないはじめてのプレイ。たのしーなーおもしろいなーとやっていて、あの、そう、まさかの世界崩壊。

そして離島に取り残されたセリス。

びびりました。

なにこのストーリー展開!と思いました、少年トキータは。

あんなに頼もしいパーティがいなくなり、ひとりぼっち。

えええええ。。。

未だにあの衝撃が忘れられません。


だからなのか、私の書く脚本は、あのとき感じた衝撃の何%かを伝えようと思っているのかもしれないです。



私の脚本はゲームっぽい要素が多いですが、ほんとにゲームになってしまった第十回公演「なにかくりかえしてますか?」。物語をマッピングで進行状況を表示する仕組みは「世界の果てで恋を唄う少女YU-NO」です。あの現実が徐々に非現実に移行していくかんじはなんとも気持ちよかったです。あの感じ好きでした。

私の脚本はファンタジー世界を舞台にすることがあまりなく、少なくともはじまりはフツーの日常からスタートします。そこから徐々におかしくなっていくのが好きなのです。


今回の「虚構演劇」もフツーからはじまります。そこからどんな展開になるのか、お楽しみください。


思ったこと徒然に書く

映画監督の押井守さんが、「宮崎駿の映画は辻褄があってないこと多いけど、絵に説得力があるなら、違和感なく見える」みたいなこと言ってて、納得。

同じく「ワールドウォーZ」の沢山のゾンビがモリ盛りのゾンビ柱になり城壁越えるシーンや、飛行機墜落しても無事な主人公とかも、「絵の説得力」で納得してしまう。これが予算なかったら急にリアリティーなくなり、なんだこのアホ脚本は?となる。


同じように、演技力も説得力があって、下手な人が二重人格の役演じたら、それはもう恥ずかしい感じになってしまうけど、上手い人が演じると、二重人格みたいな設定でも納得できてしまう。「ユージュリアル・サスペクツ」のどんでん返しは脚本が素晴らしいのではなくて、ケヴィン・スペーシーの演技力が凄い。


演劇と一言でいってもいろいろあって、予算あるならリアリティーあるセットも組めて、ファンタジーとか世界観を楽しむ芝居もできる。予算も演技力もリアリティーもなくそれをやると、お遊戯会のようになっちゃう。

やりたいことやりたいだけの劇団は嫌い。

演劇はあくまで観客ありき。

観客突き放したお芝居は作るべきじゃないと思う。


私たちのように膨大な予算も世界レベルの技術もない劇団が作れる世界ってのは、当たり前だけど選択肢は減る。だからこそのアイデア、練った内容、それが必要だと思う。


トッププロの役者スタッフが集結して予算をかけて作ったお芝居と、

我々のような集団が、例えば同じ脚本で勝負して、勝てると思うほうがおこがましい。だから、我々には我々にしかない武器を駆使して、違う戦い方をする。脚本もオリジナルを使う。


スポンサーがいないんだから、コンプライアンスなんて気にしない内容。ひどい偏見も暴言も言おうと思えば言えるし、放送禁止用語なんて言いたい放題。ストーリーだって絶対テレビで放送できない内容にだってできる。

とてもローカルな話題に触れることもできるし、個人的なことも言える。


そこまで極端ではないけど、わざわざ険しい道を進むのも嫌なので、結局作りやすい世界を作ることになるわけで。冷蔵庫に牛肉ジャガイモニンジンたまねぎがあればカレーか肉じゃがなワケで、あえて舌平目のムニエルだとか鴨南蛮そばとかを作らず、結局材料を最大に活かす方向が良いわけ。


誰もが見た瞬間石化するような絶世の美女。なんて役は用意できない。そんな人、どこにもいないから。当たり前のようにそこらにいるフツーの人のほうが、結局感情移入も容易いし。

音痴の人に歌上手歌手の役をふって、猛特訓してもらうのは大変。それならそんな役を与えないし、その役が必要なら、歌上手い人をやってもらうわ。


適材適所は大事。


うにの本は、基本的にあて書き。それは我々の武器。上手役者が合ってない役を演じる芝居より、全ての役が合っている芝居のほうが良いと私は思う。





例えば一直線のストーリー

いつもいつも変な話ばっかり書いて、時間軸があっちこっち行ったり、メタフィクションだったり、とにかくややこしかったり、そんな話が多いんですが、

ちゃんとフツーな話も書いたりしますよ。フツー?比較的フツーかな?それが「もし全ての女の子が日記をつけていたら」


3幕構成、時間はリアルタイム、ワンセット。わかりやすい。

登場人物も三名だけ。一人二役とかもせず、ずっと同じ役。わかりやすい。

逆に言ったら、ストレートな骨太のスリーピースバンドのような、そんなお芝居。

というか、オチに向かってのみ一本道で進むストーリー。

だからこその硬派で直球。

やばいよね。ガチンコです。



1次元→二次元→三次元→四次元

脚本はできた。

読み合わせもした。

暗記も(なんとか)した。


さて、次は立ち稽古。

平面が立体になるくらい大変。

さらに時間軸で変化する。


普段当たり前のように部屋で喋ってたりしてるけど、それを違和感ない動作とセリフでさらに見れるものにするって、なにこれめちゃ大変。

ひとりでやれる脳内キャパ越えるわ。


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