難解脚本

第25回公演の「君は桃谷の喫茶チェリーを知っているか?」は、お客様の何名かに話が難しかったというご意見いただきました。けれどもアンケートであるお客様は『トキさんの脚本にしてはわかりやすかった』というご意見もいただきました。

難しい話です。


私の理想を書いておくと、お客様によって深度の変わる話が理想なのです。


例えばチャップリンの『独裁者』。有名な巨大な地球儀の風船で独裁者ヒンケルが遊ぶシーン。風船が割れた瞬間、子供はチャップリンのリアクションの面白さに笑い、大人は世界征服という夢が破れる暗示であることに気づく。そーゆー二重の意味を深度別に作れたら、、、というものでした。


『なんだかぼくたちはパクチー』は、わかりやすさと、何度か見ても面白い、というある意味相反する課題をこたえようと、この深度によっていろいろ受け止め方が変わる構造にしている。。。つもりです。


けどそれを評価くださるのは、お客様ですので、どのような反応がかえってくるか、ほんとにドキドキです。


パクチーキャラクターファイル1

パクチーキャラクター



bar電気草のミステリアスなママ、通称『電ママ』。


その占いの的中率は驚異的で政権交代や東京オリンピックも的中させ、財界人もお忍びで通うと噂されている。



このキャラクターは3年くらい前に私のなかで創られていて、いつかまつりさんに演じて欲しいと思っていたのです。 


ミステリアスと書きましたが、はたから見たら完全に危ない人です。近付きたくない感じがします。



彼女は占いにコケシを使います。

さて、ここからはコケシの話です。



コケシと言えば、東北の民芸品のあれです。

もともとは小さな子供が“オママゴト”をするときに、子供の子供としての役割を担った人形です。



俗説、都市伝説として、『こけし』の由来が“子消し”もしくは“子化身”とする説があり、いまでは否定されていますが、とても今回のキャラクター造形には影響を受けました。


明治より以前、東北の貧村では“口減らし”という悲しい文化があり、親が子の供養のために、コケシを持ったというような話です。


同時に民俗学大好きな私は、オシラサマを思い出します。あの千と千尋の可愛いダイコンの神様ではなく、東北の民間信仰にある木で作られた神様です。




こけしの起源が、オシラサマという説もあります。

同じ東北。木でできている。着物を着ている。などなど、確かに似ている。


このオシラサマも調べれば調べれるほど不思議な存在で、


桑の木なんですが、桑と言えば蚕。

蚕といえば絹。

絹も古来より日本の伝統的な産業で、オシラサマさまはこの蚕信仰に結びつけて考える話もあります。


今では、はいはい絹ね蚕ね、という一般常識ですが、古来中国ではトップシークレットで、西洋への貴重な輸出品でもあり、あの美しい絹織物が、昆虫の出した糸というのを決して漏らさなかったと言います。


この日本と蚕の話をはじめると、秦氏の話もはじめないといけないので、ここまでとして、またいつか書くとして、話をコケシに戻します。



えろい人は、すぐコケシをえろ変換して考えますが、それは薬事法とかいろいろあっての性玩具の話であって、ここでは関係ありません。あっ、けどビミョーには関係してます。

これは全く逆の木ぼこに由来するという俗説があるからです。


このように、コケシには、子供そして母親というのがキーワードになってきます。


そこから深く掘っていき、今回のキャラクターができていったのです。













読む

なにか書いていて、それが完成するまでは新しい小説を読まないようにしてる。

無意識に影響されたらヤだから。


頭の中のジグソーパズルがどう組み上げるか自分でもわからないのだから、あまりその設計図になりえるものを入れたくない。


そう思ってます。


けど、全部今抱えてる本を書き終わったので、やっといろいろ本が読める。なんせ最近やたらと移動時間長いので、本読む隙は結構ある。


面白い本(物語)とそうじゃないものの差ってなんだろ?

全然辻褄あってなくても面白いのあるし、物語は平坦だけとなんか面白いのもある。それが作家さんの持ち味なんだと思う。


私個人的なあれで、なんか、その物語の世界の、“現実ライン”が、ふわふわしたのは嫌いです。

現実ラインって、勝手な言葉で言ってるけど、その物語世界で、どこまでが現実的なのかってことを示す基準ラインみたいなの。

スーパーマンがフツーにいる世界なのか、この現実と何も変わらないくらいのリアルな世界なのか。

最初は何もかもリアル路線で進めていて、オチ近くで突然ご都合主義が乱発されたら萎える。最近からご都合主義な世界だったら全然良いんだけど。

なんかバランス変な感じする。


いきなり初っぱなが無茶苦茶であとはリアルならまだなんかイイ気もする。ある朝目覚めたら自分が巨大な虫になってた。とか。



物語で萎えるのは、突然の知り合い、突然の兄弟、突然でビックリ衝撃与えるの失敗して、逆に読み手を退かせちゃったかんじ。


奇跡とか愛の力とか説明不可能なことで片付けようとしたり、登場人物の今までの行動原理なら作者の都合でいきなり逸れることしたり。


わかるの。書いてて。

おまえ(登場人物)、今、こうしてくれたら物語の進行は楽なのに、なんでそうしてくれないのー?って。


ここで、こうなったら面白いかもだけど、世界観が現実ラインが、あわわわわと自分で砕ける。


けどそれって結局バランスなんだよなーと思うのです。

お客さんの感情移入って、諸刃で、一回裏切ったら戻ってこないの、そしたらもう面白くない話になっちゃう。

ほんと難しーよねー。。。



ドMでドS

依頼あればほいほい脚本書くトキータです。

一週間で!とか3日で!とか無茶苦茶な依頼もドンと来い!と、なんでも受けてたちます。

変な場所、難しい状況、縛られれば縛られるだけ喜んで書きますが、自分んとこの劇団メンバーにもドSです。


あんまり練習で厳しくするのは私の本意ではないので、私は脚本をそうします。


脚本にも難しいとか簡単があります。感情の起伏がなかったり、変化がなかったり、表現がストレートでわかりやすかったり。

勿論、難しい本の方が観客側は、おおぉっー!となります。細かい登場人物の心の変化を演技で表現するわけですが、それが細かく複雑になればなるだけ難しくなっていきます。しかもそれを表現しないと、次のシーンが意味不明になっちゃうとかあると、意地でも仕上げていかなきゃと追い込まれてしまいます。


なんでそんなことするのか?

人はできないことがあると、それを乗り越えようと努力します。

すると演技力もあがります。

スポーツと同じです。練習練習。けど、こちらがやれ!やれ!の練習より、自主トレのほうが大事だったりするもんです。

役者は常に成長が必要です。


劇団を毎回見に来てくださる常連さんはそれを楽しみに来られている方もおられます。終演後私を見つけて「◯◯さん、うまくなったねー」とか話しかけられたりもしました。


これもまたスポーツと同じですが、練習したらその分、必ず戻ってくるものです。

今はとにかく練習練習の日々です。

みんながんばっております。


ジャンルがわからない

音楽には細かくなんかジャンルあるじゃないですか、ロックだけでもハード、メタル、パンク、オルタナティブとかとかとか。


演劇って難しいよねー。ストレートプレイはわかる。朗読劇、ミュージカル、スラップスティックも。うにを“ウェルメイド・プレイ”とおっしゃった方もおられた。


会話はなるべくリアル。キャラクターはコントっぽい。


なんかポエミーな独り言をいっぱい言うようなお芝居ではないです。あーゆーステキなセリフ書けない。詩的さゼロだから。


なんてジャンルだろ?

やっぱり、根底にあるのは、アホだよなー。

アホありき。


真面目お芝居って、短編とかで稀にやるけど、ちょっと難しい。お客さんからのリアクションないから。ドキドキしちゃう。コメディは笑ってくれたら、ウケてるってわかるから安心できる。

真面目〜、やりたいけど、むずかしーし、うにではやらないなー多分。


なんだかぼくたちはパクチー



そこはパクチーが違法になった世界。




大阪は本町にあるパクチー専門店、パクチー好きの間では有名なGoGoパクチーさんで公演されるお芝居です。


そも、この話のスタート地点はどこなのか?ということを考えると、結構過去に遡ります。


劇団メンバーの大盛り桂子が、他のところでお芝居に出る。。。まぁ、団員が客演でいろんなところに出演したりするのはよくある話なのですが、まずそんなことがあったのです。

そして大曽根クルールが一人ミュージカルというものに出る。確かに彼はミュージシャンなので音楽的才能があり演技もできるのでミュージカルは向いているジャンルだと思いました。

そして、藤白奏やいつも客演してくださる末光さんなどからも、そのいろんなところで関係してくるある団体について知ることになります。


それがモンゴルズシアターカンパニーさん。そこの代表である増田雄氏が劇団ウンウンウニウムを(必要以上に)高く評価している。

という話を聞いていました。


基本的に誰かに褒められても無関心の私は、そのままスルーしていましたが、末光さんから増田氏の間を取り持つような形で、まずはTwitterかなにかで繋がり、「脚本書いて欲しい」と依頼いただいたので、ほいほいと書き下ろし。そして何かの流れで「劇団ウンウンウニウムと何かをやりたい」とお誘いを受け、誘われたら断らない劇団ということで何でも受けてたつぜ!と、ここにモンゴルズとうにが組みことになったのです。


増田氏から、ロングラン公演、なおかつ少人数という依頼のもと、縁深い大盛り、大曽根。そして、あとのまつりと宇佐美みおの四人がキャストとして参加することになりました。


で、会場にはいくつか候補があったのですが、その中で私が一発でココがイイ!と言ったのがGoパクさんでした。なぜか?それは私がパクチー大好きだから。


で、早速、増田さんと細かい話、Goパクに行きオーナーさんなどとお話させていただき、そのときパッと思い付いた「パクチーが違法の世界とかどうです?」って感じで内容は決定されました。


さて。

私たち劇団ウンウンウニウムは、何より好き勝手にやってきた集団です。放送禁止用語も叫びますし、偏見だって悪口だって言います。それは我々は助成金も受けてなければスポンサーもいない完全にアウトローな輩で、謂わばそこらにたむろしている恐いお兄ちゃんたちとなんら変わらない好き勝手やってる奴らだったのですが、

今回は違います。お金を出してくださる方々がバックにおられるわけで、下手なことできません。いわゆるコンプライアンスってやつです。Goパクさんは飲食店。いきなり舞台上で卑猥な言葉とか言っちゃダメだよね?と心のどこかにブレーキをかけていました。


さらに言ってしまえば、今までの見に来てくださるお客さまは、よくうにを知ってくださっている常連さまも多く、この劇団の奴らはこーゆーことやる人たちだ的な、そーゆーのわかってくださる温かい方々ばかりでした。けれども今回はほぼほぼ初見。なにこの人たち?的な、アウェイな、そーゆー場所に放り出されたような恐怖心がありました。


そんなわけで私はかなりかなり脚本書くのに苦しみました。

自分のなかのルール。


・わかりやすさ

・ロングランなのでもう一度見たくなる仕掛け


という相反する2つをどう片付けるかにも悩みましたし、パクチーが違法→パクチーは悪いもの→パクチーを悪く扱う奴ら(悪役)という図式がすぐに思い付いたのですが、同時にここはパクチー専門店でお客さんの何割かはパクチー好きの方々。パクチーを悪く描くわけにはいかない。


そんな2つの矛盾に苦しみ。書き上げた本は、パクチーのロンダリングでお金を儲けようとする奴らとそれを騙してお金を巻き上げようとする詐欺師の話でした。

何度も何度も推敲して最後まで書き上げました。そしてキャストにも読んでもらいました。反応は「ム〜ん」と芳しくないもの。その反応は予想通りでした。自分でもそう思っていたから。だから私は全く違うストーリーをもう1つ用意してました。つまり二本書いてたんです。この二本目はかなり好感触でした。結局、自分をガチガチに縛りに縛って書いたものは全く面白くなく、片手縛られてるくらいで書いたもう一本の方が、自分のメンドクサイ部分(毒)が薄れ、読んだ人から言わしたら“一般受けする”ものになったわけです。


私はどこかヒネクレてて、実験的だったり、こんなのフツーな話はヤだ!とか、ご都合主義はヤだ!とか、逆にこんなヘンな話どう?とかスネた笑いとか、そーゆー自分好みを多用するばかりに、一般受けから離れていたのかもしれません。


つまり、ここにきて、こう言ってよければ『一般受けができる本』が私にも書けたのです。「変なpride捨てちゃいなよベイベ」


というわけで、うに公演では自分中でタブーにしてた自分ルールも解禁して、結構演劇に近付き、いつのまにか築いてた自分らしさの檻の中で、なんちゃらかんちゃら。


この新しく書いた脚本は何度か推敲するうちに完成度もあがり、二度三度見ても楽しめる内容となりました。さらに全員から「この本、面白い!」と言われたことない反応が起こるまでになりました。


いろんなドラマがあり、いろんな思いも交錯し、登場人物全員に目的があら、そして。。。


なんていうか、いろんなアイデアなどをストックしていってますが、最後の最後に絞り出されるのは、自分の内面的なものなんだな、とな改めて思いました。

いま、自分が一番求めているものというか、とても恥ずかしいですが、そういうことなんだな。とか。



『なんだかぼくたちはパクチー』

ご予約はこちらからです。

宜しくお願いいたします!


https://www.quartet-online.net/ticket/coriander







アングラへの憧れ

小劇団の武器と言えばそのアングラ感。

メジャーメディアでは表現されない人間のリアルなドス黒い心の暗部などをドンドン出していけるって部分もあると思ってる。

それゆえ、麻薬、売春、犯罪などなど、どちらかと言えば悪いことを生業とする登場人物も多数出てきたりする。

けどちょっと待って。わかる、物凄くわかる。やりたい。あのー、なんだろ、なんかあったじゃない。スワッピングパーティを舞台にした人間模様とか、集団自殺のために集まった子供たちとか。

けどだよー、こーゆーのは中途半端にやるのが一番カッコ悪い!それは避けたい。ダサくはなりたくない。

それが失敗してる人たち山ほど見てきた。何が原因?多分リアリティー。絵に説得力がないの。実際に麻薬中毒じゃないから麻薬の感じがわからない。だいたいがやり過ぎちゃう。酔っぱらいならリアリティーあるの。銃を持つのもやっぱり馴れてない感じ出ちゃう。基本がわかってないから。けど日本刀とかの殺陣ならかっこいいの。


で、私は考えたです。

逆だ。逆転だ。

例えばパクチーだ。

パクチーを違法にして、それをこっそりやっているって世界にしよう。

麻薬のメタファーなのはすぐわかるけど、パクチーをムシャムシャ食べる。うん、リアルだ(?)。




イズムを

『人間の能力で一番凄いとは複雑なものを簡単にポッと出すことなんだよね。簡単なものを複雑にやるのが一番バカなんだよね。』


言ったのは、タモリさんだけど、

あの有名なオザケンとのテレフォンショッキングの言葉。


全肯定したい言葉。


例えば、


位相幾何学は、空間次元、変換といった概念の研究を通じて、幾何学および集合論から生じた分野である。と言ってもワケわからんけど、ベーグルとドーナツは大きく分けたら同じ形。みたいなの。と言ったら、なんかまだイメージはつかめる。


もしくは『ローグ』というマニアックな洋パソゲーのシステムを、取っつきやすくドラクエの世界に代入した『トルネコの大冒険 不思議、ダンジョン』という例もある。



ほれほれ高尚なゲージツだぞよ、一部のインテリがお上品ざますとか言ったり言われたりする奴だ。もしくは汗と涙と反省会と嫌な気持ちとかとかのシュウタイセイみたいなの。自分は特別だぜ!と遠回しに言いたいだけなアレより、もっともっと敷居をさげさげなさげて、ついでに料金もさげたい。


例えば、日体大の素晴らしい全員行動は、本当に毎日厳しい練習のもと一糸乱れぬ動きができるわけです。本当に凄いと思います。そこを目指す劇団さんなどもありますが、うには違います。

なんせメンバーは多忙なので、練習で全員が集まるのも難しいし、それはもうわかったうえでの構成なので、本番を迎えられるわけですし、うにの目指しているところも違います。練習するのも時間もお金もかかるので可能なら最小限の練習で最大限の効果をあげたい。

古いタイプの企業が無駄に長い就業時間で、テキトーな会議とかして集中力切れるなら就業時間6時間にしようみたいな。うには無駄に集まって、練習ダラダラするならパッとやってパッと解散したい。付き合いとかの飲み会とかで無駄にお互いを誉めあうとかもない。

今回の銭湯公演では全体練習は二時間を三回しかしてません。勿論個別個人では練習もしてますが、無駄なことは避けます。


理想論な完璧主義などは、若気の至りだったと過去を振りかえったら思います。現実に何かを作るときは、そんなこと言ってられません。予算はなく、人は集まらず、なにもかもが思い通りにはいかない。それが普通です。

そのうえで企画をつくらなければと思います。劇団旗揚げの頃は作りたいとのと出来上がったものの格差がえぐかったですが、最近は思い通りのものができあがってます。


実験的な演劇は、なんだかとても難しいです。私は好きですが決して一般的なものではありません。私はその実験的な演劇に、ベタとかアホとかにすることで、敷居をさげさげにして、普段お芝居を見ない方でも楽しめて、演劇の領域をひろげようと考えました。


勿論、それが伝わらなくても全然構いません。まずは面白いのが大前提です。

そのうえで、これも演劇だったなーと思っていただけましたら、私はとても嬉しく思います。




10年前と今と

劇団を旗揚げした10年前。

脚本を書いて実際に演者に演じてもらったとき、全然想像していたものと違い大きく戸惑っていたのを覚えています。

それから10年。今は脚本を書いたときに想像したものがほぼそのまま舞台になっています。

これは何分の芝居、っていうのを書いてる時点でわかるようにもなりました。


けれどもこれは自分の脚本力があがったわけではないです。他劇団の方用に書いた脚本は相変わらず想像と違うものになります。


単純に私が演者を、演者が私を、理解しているからなだけですが、その把握と連携が、“劇団”でやっている一番大きな利点だと思います。


銭湯ワンダバの

私、トキータ・メンバッカの根っからの銭湯っ子でした。

近所にあったということもあり、幼い日に祖母と女湯に入ったら、クラスメイトがいた小1の。ボイラー室には野良猫がいっぱいいて近所の子とよく遊びに行ったり、まあその手のエピソードには事欠かきません。


大人になり、劇団を旗揚げして、大阪で泊まりなどが増えると自然に銭湯通いも増えて、大曽根くんなどと付近にある銭湯を片っ端から行ってみるなどなど、銭湯好きは加速していきます。


けど同時に悲しいことも。

銭湯がどんどんなくなっていっている。

ということです。


家風呂が当たり前、スーパー銭湯なども増えて、いわゆるノーマルな町の銭湯は次々になくなっていっています。


若い人のなかでは、銭湯に行ったことないという人が多くて、連れていくと行くとハマったりして、そーゆー人が多いんだと思います。


例えば北野に行けば異人館などが見れます。祇園では町屋が見れます。銭湯はそーゆー施設と同じで、かつ入浴できます。入浴という生活の一部でありながら異次元。広い風呂?それだけじゃない。癒しの波動がもうヴィンヴィンなのです。



私らの劇団が偉そうに言えたことではありませんが、銭湯を応援したい。っていうか銭湯に行ったことない人たちを銭湯に呼びたい。そんな思いもあり、今回の銭湯公演となりました。


勿論、そこには千鳥温泉さんという素晴らしい銭湯があり、オーナーさまからお声をかけていただいたというありがたいご縁もございました。


今回の公演をきっかけに、銭湯に通いはじめてくださる方が一人でも増えていただければと思います。



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