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  • 2020.10.07 Wednesday
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『裸になったときの方がずっと好きです』

もう書いてもいいかな。

厳密には、劇団ウンウンウニウムの公演ではないけど、

シークレット公演『裸になったときの方がずっと好きです』について。


公にしない秘密のお芝居、誰も口外禁止で、snsにも内容を書いちゃダメ。なんなら詳しい日時も場所も、チケット購入者にしか伝えないという。。。


ことのはじまりは、まずコロナ禍であるということ。

密を避けて安全なお芝居をする。それが徹底され、少しても安全への配慮を怠るとsnsで叩かれかねない。そんな世情。

公演も中止延期になり、舞台に立てない演劇人の苦悩は続いていました。


そんな中、まつりさんのツイートを見ます。


『芝居がしたい、魂ごと入れ替えてしまうぐらいの熱量を注げる芝居がしたい』


と。


こんなことまつりさんが言うなんて!

ということで、話は進み、やることになります。


まつりさん曰く、シークレット公演なんだから、もう昔のウニのように、トキータのリミッターはずして、やりたいこと書けばいい、私、下着姿とかになってもいい。


とのことで、だいたい全編、下着姿という芝居になったのです。私はリミッターはずして、放送禁止用語から何から全部ダメな感じになりました。


リミッターはずしたら、すらすら書ける。

久しぶりに自己解放した気分。


舞台も四ヶ所ありました。移動しまくり芝居です。


正直、とても楽しかったです。

機会あればまた何かこーゆーのやりたいです。はい。




没入の谷

ツイートしたんですが、話が長くなるのでブログに書きます。


私はお客様にもより、お芝居に“交じって”ほしーなーと思っています。観客も演者のお芝居の一部なんだと思っているんです。


最近体験型演劇やイマーシブシアターなどの没入感の高い演劇もよく見かけるようになりましたし、当劇団も長年やっています。


お客様にいろいろ参加してもらうパターンもいろいろやったのですが、例えばガッツリお客様に芝居に参加していただくと、緊張感もあり、裏方側を見ることにもなり、没入感は減る気がするんです。


それを私は勝手に没入の谷と言ってます。



あくまで目的は楽しく演出に参加していただくことで、無駄に緊張感を高めるのは物語に感情移入できない原因になります。


つまり、ある意味、無責任に、そして気楽に参加できる、それが条件に思えるんです。


で、アタマを捻って、ひとつのアイデアを思いつきました。


つまりお客様にイチ登場人物として参加していただきつつも、無責任でいける。

というものです。


これはガッツリ参加すればするほど楽しくなるパターンのやつです。


年内には実現したいと企画中ですので、お楽しみにしていてください。


心の扉を開くのさ(真顔)

座組の演出として、また運営として、

ただ粛々と自分の仕事をしとくだけでは、良い芝居は作れないと思っています。


そこには小さな小さな会社の、中間管理職的な立ち振舞いが必要になってくるわけで、

知らない人らを集めて、「はい、今日から仲間だから、良い芝居作りましょ」と言っても、いろんな人がいるからすぐにそれができるわけはないわけで。

むしろ、はやくその座組を打ち解けあわせて、良い空気を作り、結果良い芝居を作るか、が、あまり語られずに、けど重要度は高いと思っているんです。


「飲みに行けばいいんだよ、レッツ飲みニケーション」的な昭和のルールは通用しません。第一、私はアルコール飲みませんし、おとなしい人には飲みの席なんて苦痛でしかありません。


で、私の場合、最短で距離を詰めれるのは銭湯だと思ってます。勿論、同性同士限定ですが、みんなで銭湯行けばすぐ仲良くなれます。


ある座組では、まず簡単なゲームをしてみたり、また別ではみなでハグしあってもらったり(同性でね)、コロナ禍でなければカラオケという選択肢もあったりしました。


そう、いまはコロナ禍なんです。

飲み会も、カラオケも、食事会も、よろしくない。

むしろ、顔合わせで、顔合わせない。まずはzoom顔合わせが、多くなってきてます。

だからより、この心の距離問題が発生しております。


リモートは便利ですが、心の距離を詰めるには、まだまだ技術が追い付いてないような気がします。


コロナ禍でのウンウンウニウム

まず2020年3月に予定されていた第29回公演の『大茶番』が新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、5月に延期になり、5月でもコロナ禍はおさまらず、むしろ緊急事態宣言なども出て、結果無期限延期という方針になりました。

むしろぶっちゃけて言ってしまうと、『大茶番』はアホうなコント集で、そんな肩肘はって見るような芝居ではなく、気楽気軽な感覚だったのに、世情がそんなのを許したくれない感じでもありました。


結果、ウンウンウニウムとしての活動はあまり目だったものはなく、ひそかに配信公演を準備中というくらいです。

各メンバーは、各自でいろいろとはじめております。


私トキータは、ステイホーム長すぎてゲームなどを久しぶりにやっておるしまつです。


コロナコロナです。ほんと。


漠然とした不安

自分の作りたい芝居

世間の求めている芝居


それらが日に日に距離をあけているような。

そんな漠然とした不安が最近ずーっとありまして。


いや、元々が求められている芝居をやっているという意識はなかったです。

ただ単純に自分が、劇団員がこれ面白い!と思うものを作ってきたつもりです。

それども少しずつ規模が大きくなり、予算がかかり集客が大切になってきて、ここははずせない!と思ったときに、

ある程度ウケの良いものを書こう。

そう思っている自分に気付きました。


内容という意味だけではありません。

最近snsなどで感想を多くいただけるようになり、いや私の書いた本以外でも、映画やドラマでもそうなのですが、私的には“わかりやすい話”と思っていても、ある人には“わからなかった”や“難しくて”などの意見を多く、

つまり

物語はどこまで“わかりやすく”したらよいのか?

という問題。

展開バレバレなんて退屈だと私は思うのですが、予想外なことが起こらないほうがよいのか、もしくは説明を何度もやったり、難しい言葉を使わないほうがよかったりするのか。

そのことについて、ほんとに悩んでいます。


というのも、私は難解とか言われる映画が好きで、むしろ難解とはあまり思わずに楽しんで見れるのですが、それは多分、もともとの畑が実験映画などから入っていったこともあります。

見方(?)があるわけでもなく、特にそれはそういうものとして見ているだけなのですが、最近ご感想などで“わからなかった”というものをいただくと、物凄く申し訳ないような、脚本として失敗であったような、そんな不安を覚えるのです。


ならば、いっそ、これは複雑で難解なやつです!と銘打って公演したほうがよいのでしょうか。

けどそうしたらきっと集客は格段に落ちてしまうのだと思います。

結局、何がやりたいのか自分でわからなくなっていってしまうのです。


現実ライン

脚本書く上で私が最初にやることは

“現実ライン”

の線引きです。


この物語上の現実(基底現実)は何が起こって何が起こりえないのか?を決めることです。


例えば『ドラえもん』では、見知らぬ通行人がドラえもんに道を尋ねる回があるように、あの猫型ロボットが日常にいてもおかしくない世界です。


今までなんの伏線もなく、突然ラストに「実は私は宇宙人だったのです」と言われたら、大抵のお客様は、なんじゃそりゃ!となります。

物語はお客様がある程度納得できうる着地点に落ちるのが理想ですから、その為には最初に何があり得て何があり得ないのか決めて書いておかないと、どんどんお客様を突き放した展開になっていくわけです。


私は名探偵コナンをあまり知らないのですが、こないだはじめてあの世界では『高校生探偵』が認知されている世界だと知って、ああと納得したのです。


物語には展開が必要で、ラストへ向けて、ちょっとは衝撃的な出来事もあったほうがよいかな?と、起承転結の転をやるのですが、めっちゃ転過ぎたら、それはないで〜とお客様に思われてしまうわけです。


それならばもう最初に、こーゆー世界観だよーと伝えておかなければフェアじゃないと思うのです。


で、逆説的に言えば、それをミスリードに使ったりもできますし、いかに常識的範疇で盲点をついてくるかが難しいんだと思います。


その裏パターンとして、カフカの『変身』は凄くて、最初の一行以外はずっとフツーなんですよね。最初に無茶苦茶を言っといて、あとはフツー。すげーと思いました。


Aがありえる世界だから、Bもありうる。

それの連続なのだと思います。


偶然の重なりすぎたらご都合主義になります。むしろ偶然が最初からめちゃめちゃあったら、別に後半それがあっても納得できるのです。


例えば殺人事件なんて、警察官やってても現実に出会うか出会わないかの物事。ふつーの人がそんなしょっちゅうしょっちゅう偶然遭遇することはないわけで、リアリティー強めすぎた作品には逆に不向きになったりもします。

何も起こらない物語は退屈かもしれませんし、何も起こらないことが楽しい場合もあります。

難しい。難しい。


ナンバリングについての長い割には面白くない説明

ナンバリングについての長い割には面白くない説明です。


『06の世界』から劇団ウンウンウニウムを知ってくださった方には次回公演の

第29番煎じ『大茶番』

の“第29番煎じ”って???

というのは単に“第29回公演”のことで、第二回公演からこの数字のトコで遊び出して今にいたるというわけです。


“『06の世界』はなんで数字なかったの?”

は、タイトルに06ついてるのに

“第28回06の世界”じゃ、数字多くてワケわからんからのけたのです。


そんなもんです。



そもそも、第二回公演が、規模的に小さくなるだろうと“1.5回公演”なんて銘打っちゃって、やってみたら全然規模が一回目と同じくらいになってしまい、

なぜか第三回公演はナンバリングをつけ忘れており、

第四回のとき、「アレ?いま何回目?!」とようやく数字の怪しさに気付き、それを誤魔化すために、


大体第四回公演


としまして、

続いて、


多分第五回公演

となり、


ぼちぼち第六回公演

となり、


次はもはや公演でもなかいような変な芝居だったので、


第七回公宴


になり、


ほいほい第八回公演

ギリギリ第九回公演

まごうことない第十回公演


ほぼ第11回公演

ごらん第12回公演

自分的には第13回公演


第14回革命

しれーっと第15回公演

ぽろり第16回公演←銭湯だから

だから第17回公演

まるで第18回公演

ゆーても第19回公演

ガチで第20回公演

21世紀公演

せやかて22回公演


そして劇団創立を祝い

10周年記念公演

が2つあり、


ガチ喫茶店芝居なので、

第25杯目公演


ガチ銭湯公演なので、

第26回公浴

第27回公浴


で、06の、世界が28回目で、


次が


第29番煎じ


となるわけです。


だからどーした?







06の話の続き

ハダリがハッキングされるシーンは、宇佐美みおに難しい役をやらそう(むしろ本人が挑戦したい!と)いうことで、外見ハダリ、中身タカシロという難易度ばくあがりの演技。

最初ほんとできなくて、徐々につかみだし、ゲネでほぼ完成、小屋入りしてさらにレベルあげてきたという渾身の場面でした。

barでは長身のイケメンモリサが、それに続いて、タカシロ様が登場するわけですが、

音楽が流れ照明があたり、モリサに車椅子を押されて登場するタカシロ様の尊さと言ったら、気の弱い人なら失神するレベルです。常人でもため息もらしちゃいます。

さて時を同じくして、ハダリを蹂躙しようとするゲスい悪役グラナダを演じたのは、モンゴルズシアターカンパニー代表の増田さんで、普段はこんな出演絶対されないと思うのですが、「まあ、末光さんの部下ならいいですよ」という理由で出演していただきました。その増田さんを宇佐美みおが暴言はき、さらには同じようモンゴルズの松田さんにやられるという。個人的にはニヤニヤしてしまうシーンがありまして、

満を持して登場するのがみんな大好き、ランドウです。演じるのは蔦江タイチさん。いい人柄がにじみ出てるのに悪役というミスキャストなのかベストキャストなのか謎キャスティング。毎回笑ってしまいます。


この世界の住人、中流国民のセラニ、サララ、ハドタ、マキラが、この国の人たちの気持ちを代弁してくれてます。逆に言ったらお客様に一番共感されていなきゃダメという難しい役なのです。


映像のシーンは、何度見てもタカシロさまが大写しになった瞬間、「わ、かっこいい」と単純に口に出しちゃいますよね。その一瞬前まで「タカシロ動きます」で笑かしてたのに。


今回、重要な小道具として登場したトイピアノ。生演奏をしているのは、大曽根もまつりもミュージシャンだからで、鍵盤を弾けるという強みかありました。ずっとラストに流れる革命のときに歌う歌の旋律を弾いているんですよ。


伏線と言えば、サイゴクのアブミとイラブは関西弁でしたね。コンプライアンスがちがちの帝国人と違い、アブミはイケメンにセクハラ発言したり、欲望丸出しで喋っていたりします。

ちなみにムジテレビは、『なんだかぼくたちはパクチー』にも登場します。2つは同じ世界線なんです、実は。


サイゴクがどんな国かは、オヤベが「私はリパどもと打ち合わせをしておく」というセリフの“リパ”はリパブリックの蔑称です。共産主義をアカと呼んだのと同じ感じです。だからレジスタンスはどこかアカっぽいのかもしれませんね。


タカシロの放送後、国民は笑顔が増え、いつも笑顔もエナは投獄され笑顔が消えます。タカシロ、そしてエナの訴えを受けて国民が動き出すシーンは、もう歌うしかないとミュージカルシーンにしました。

私は歌のチカラを信じています。

なぜ同じメロディに合わせて歌うだけでこんなに感情は動かされてるのでしょうか。


ディストピアものは、大抵、バッドエンドです。けれども年末の年末にバッドエンドは個人的にもしたくない。

どう終わらせるのか。じゃこの世界を壊すしかない。ならば革命だ。そんな風に考えたかどうかはわかりませんが、『幸せとは何か?』を問題提起だけ逃げるのは絶対嫌だったので、現代の問題点を声高に叫んで何もしない作品ではなく、私は、私なりに、こうすべきだということを書きました。

タカシロも言います。洗脳をとくことは再洗脳といってもいい。


政府に操られているのか

タカシロに操られているのか


2つはどこがちがう?

タカシロにあるのは、選択できるということ。


やりたい人は集まってくれ!

という選択できる自由。


有無をいわさず言うとおりしろ、ほらほら幸福だろ!が政府。



私は強制も命令も搾取も大嫌いです。

本人たちが、やりたいことをやる。

目的が同じだったら、いっしょにやる。

自分の目的のために、例えそれが正義やみなの幸福のためでも、従わせるのは私は嫌いです。


その気持ちが、ラストに出ちゃってます。どうも年齢のせいか、こういうメッセージをこめたくなる。ほんと申し訳ない。


結局、世界はすこしだけ変わり、けどリクは命令されてないのに、結局国民制服でラジオ体操をしている。

そんなわけでございます。


長いのに最後まで読んでいただきありがとうございました。



よくわかる解説〜の世界

久しぶりですね、解説書くの。

というわけで、これから『06の世界』のネタバレを書いていたしますので、観劇された方々にむけて書いているものなので、あとでDVDになったら見よう〜と思っている方は、読まない方が楽しめるかと思います。細かくは自由意思にお任せいたします。


さてさて、まずどこから書きましょうか。けれどもあれですよね。いつものトキータの本にしてはかなりわかりやすい内容だったと思います。

大どんでん返しも、ないし、いや、あるけど、あれはどんでん返しでもなんでもなく、うん、まずそこからの解説をさせてください。


フライヤーなどなどでのあらすじでは、アジアにある国、という舞台となるミクリ姉弟の住んでる国ですが、もう完全に日本語話してるし、日本ですよね。顔も日本人だし。

ただし、今の私たちと住んでる世界線とは別の日本と言いますか、パラレルワールド的な日本です、よくあるやつですね。

その世界では、第二次世界大戦で原爆は落とされず、本土決戦があり、日本は分割統治され、結果東西ドイツのようになっています。


大日本帝国(東日本) と日本共和国(西日本)。西日本は西国(サイゴク)と呼ばれています。ちなみに本編では出てこないですが、東日本は東国(トウゴク)です。

本編の舞台はこの東国です。


登場人物たちは変な名前ですが、ミクリリク、ミクリエナ。これは漢字表記にすると御厨凛空、御厨恵奈になります。その他全員(ハダリ以外)の名前に漢字表記があります。小谷部、鐙、伊良部、世良丹、倉灘、波戸田などなど。ちなみにハダリの名前は、世界初のアンドロイド小説『未来のイヴ』のハダリーから。


なんで舞台を、架空の日本にしたん?というと、ノーマルな場合、最初にパラレルワールドの日本が舞台だよー、ってやるところです。けどそれだと皮肉というか対比というかそれができないのです。ディストピア世界を描く。それを見て「ふむふむ」と思い、ふと「じゃ今の日本は?」と考える。その工程をやりたかったのです。だから、今、日本人が見ないとワケわからんわけです。

こーゆー世界になってたかもね〜と言いたいわけではないんです。私が言いたいのは「じゃ今の日本は?」です。ディストピアですか?違いますか?


科学の基本は比較対象実験です。「この国はこうだ!」と思うには、比較する他国が必要になってきます。この国しか知らなければ比べることはできない。え!?これうちの家庭だけやったん?!みたいなことの国版です。


書くまでもなく、東国のイメージ元は、北朝鮮と東京です。この2つのイメージから出来上がっています。私は東京に数年住んでて思ったのですが、東京人と関西人はやはり違う。流行りへの乗り方が違う。メチャクチャ乗っかっていくのが東京人。それを“流行りに敏感”と良く言うか、“メディアに踊らされてる”と皮肉に言うかは置いておいて、とてもわかりやすいと感じたのです。

ニューヨークから来た流行りのハンバーガー屋に数時間待ちの列ができてたのに、二年後には潰れてる。それが東京という街です。朝の新宿を都庁方向に歩いてたら、みなが同じ色のトレンチコートだったり、なんだかとっても社会主義国に見えたのです。私には。


さてさて、物語を順番にちょっと書いていきます。

オープニングでいきなり、リクとシフの幸せアピールですが、私の思う演劇らしい演劇をカリカチュアしたら、こんな感じ。北朝鮮や爽やか企業、某宗教団体のような、100%の幸福アピールは、なんか気持ち悪いものが付きまとうと思うのです。多分、私がさほど幸福感に満たされていない皮肉屋だからでしょうか。とにかく眩しすぎるものには敵対心がある笑

そして次はオープニングアクト。これも演劇っぽいでしょ?はじめてやりましたよ。一応、革命のイメージです。このあと地味なシーンが続くし、なかなか登場しないキャストも多いから出して派手にやって、お客様をビックリさせようという、よくある手です。


物語はリクの家からはじまります。ここはリクとエナの両親が住んでた家という設定で、もうエナは出ていっています。両親ももういません。だから単身者のリクにも広い良い家という設定です。

ラジオ体操をしています。未来でラジオって!と思われるかもですが、今だに日本でもラジオ体操はラジオだし、区民センターの予約はFAXだし、書類は紙だし、変なもんだけ残ってたりするんだと思います。

ラジオ体操ってこわくないですか?不気味ですよね?朝、何も申し合わせることもなく人が集まり、集団で同じ動きをして解散する。こわいです。なんも知らん外国人が見たらびびりますよ。実際、戦後GHQがラジオ体操禁止令を出したくらいです。けどこっそり体操する人たちが後をたたず、現代まで続いているのです。

ちなみに体操は国民の義務と言われています。だからリクはやってますが、ときどきサボってます。そんなものです。


さて、ここでハダリも登場します。ドールロボットと呼ばれています。ホームAIのアイコンです。アレクサとかOKグーグルみたいな感じに、勝手に動く人型アイボとでも思ってください。裏設定(というかボツになった設定)では、量子コンピューターの技術をAIの開発と研究に取り組んでたグループの一人にリクとエナの父親がいた、となっています。リクが人一倍、ロボットに感情移入しているのはそこらへんの設定から来ています。ちなみに母は音楽家という設定は生き残り、トイピアノで何度も鳴らされる『歓送の唄』は、ラストのミュージカルシーンへと繋がっていきます。ちなみに最初は、エナ、セラニ、サララは合唱団の設定でしたが、なくなりました。


リクの家に姉エナが「泊めて〜」とあらわれます。朝まで飲んでたわけです。この世界で朝まで飲んでるのは、なかなかに不良(?)です。タカシロもそういう意味で二日酔いです。酒飲んでる描写があるのはレジスタンスだけです。そして、エナも淋しさからそういう行動をとっています。両親のことがあり、この国への不満、次々変わる彼氏、けども人といるときは笑顔。この国でこんなにニコニコしている人は逆に変人です。だから他の国民たち、ニコニコしてなかったでしょ?国民たちが笑う(自分たちの感情出す)のは後半になってからです。


ミクリ姉弟の両親は脱東未遂で逮捕され死んでいるという設定です。まだリクは幼すぎて覚えてないですが、エナはそのときのショックをずっと受けたまま成長しています。実は本当に脱東しようとしたわけではなく、思想犯として逮捕されたという設定です。もし本当に脱東しようとしていたならば、幼い二人も連れていったはずですから。


いきなり、“脱東”という言葉出てきましたが、北朝鮮からの脱北と同じような意味です。その他、いろいろ専門用語が多くて、例えばICD。手の甲の親指と人差し指の間に埋め込まれたICチップでIDの代わりとして使われ(管理)されています。だからICD。


タカシロの指にはバーチャルインターフェースが付いていて、何もないところをタイプしてもコンピューターに接続できています。コンタクトレンズに情報が出ているとか出ていないとかとか。


さてそんなこんなで、物語は、リク宅にオヤベが登場することで動き始めます。

オヤベ。好きキャラです。こーゆーのできる役者は、末光さんくらいしかおりません。上品さの中に選民意識とプライドが混じっていて、ひとりでディストピアを体現してるようなキャラクターです。

もう早口で何を言ってるのかわからんようなことを永遠捲し立てていく感じがたまりません。イメージとして『時計じかけのオレンジ』の看守長みたいな人を挙げました。大変結構!


ここで、この国の身分制度を書いておきます。アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンとあります。オヤベらは最上級国民であるアルファ、ミクリ姉弟は中流国民のベータ。あとは登場しませんが、イプシロンはシフのセリフに出て来ます。


場面は工場の出勤風景になります。並んでますね。エキストラ国民として、森子さんタイチさんが登場しますが、これはあくまでエキストラキャラクターです。

ここで、国民は“理由もなく流行りものが好き”という誇張された会話が行われます。わかりやすいですね。けど全然楽しそうではないのがポイントです。


ここまで物語をどの視点で見れば正解かわからないわけですが、西国からのテレビマン、イラブとアブミの登場で、この二人が比較的まともな、観客に近いような感性を持っています。特にアブミの目を通して、この国の不思議が説明されていきます。


ここでようやく、リクはオヤベに利用され、政府が思い描いている“理想の国民”を演じさせられることを知ります。西国の二人はおかしいと思いつつもドキュメンタリーの撮影をはじめます。リクにとっては国のお仕事、やるしかありません。


一方、エナは普段接触できない“外国人”と知り合おうと、アブミに接触します。東国は鎖国状態で情報公開はされてないのです。これも北朝鮮のイメージです。


ホテルのシーン。豚ラーメンは執筆してたときに食べてただけです。あと音波遮断機は、虫除けスプレーのキャップに違うスプレーの蓋をドッキングさせただけのものです(私制作)。

舞台はリクの家に戻り、国民たちの面白シーンです。国民男子のシーン大好きです。おめでたさ、にこやかさ、大きさ。。。もうなんの褒めもない。

宙帝尊子大帝陛下のネーミングはかなり悩みました。いろいろに近いといろいろ問題になるので、何にも似てないメチャクチャな名前にしました。意味合い的には宇宙皇帝みたいなかんじですかね。


シーンは、リクの妻役としてシフが登場します。シフの悪役女優っぷりも良いですよね。最初からなんかこーゆー役をしていただきたくて森子さんにオファーさせていただきました。はまるわー。納豆のシーンも大好きです。


なんだか解説ではなく、感想になりつつありますやね。続きはまた後日に書かせていただき、今日はここまでとさせていただきます。

ありがとうございました!













ディストピアの世界

ディストピアとはユートピアの反対。

理想郷ではなく暗黒郷とか訳される。


SFが好きな方はよく知ってるジャンルのひとつだと思います。

代表的な作品はやはり『1984』でしょうか。そして『素晴らしき新世界』『華氏451度』などなど。映画では『未来世紀ブラジル』『ソイレントグリーン』などが名作かと思います。『ブレードランナー』も大好き過ぎる映画ですが、ディストピアですが、なんかちょっと私の好きなディストピアではないのです。多分、“社会主義っぽさ”がないからです。この社会主義っぽさが、今回、私の考えの一種のなんというか、その、あれです、大きな骨格の一本(?)でした。

まず単なるディストピア好きが作ったディストピアパロディ物語にしてはいけない。それなまず最新の注意を払いました。大好きだけど、愛はあるけど茶化していねーよー、という。真面目に受け止めたうえで、咀嚼して嚥下して消化して筋肉になったものだと、そう言いたいです。のでそう書きました。今。

例えばこだわった衣装。特別にデザイナーさんと打ち合わせに打ち合わせて作っていただいたフルオーダーメイドの衣装。こちらは国民制服と呼ばれています。これがまずカッコいい可愛いステキ。シンプルでいて、誰にでも似合うという完璧な国民制服っぷり。

そして外でどこからか流れている謎の放送。よくよく聞いたらよくわからんことを言っていますが、かなり世界観作りには役立っております。

そしてそして“行列”。何故か列に並んでいる国民たち。毎朝行く仕事で何故並ぶ必要があるのか?けど並んでいる。

それらが特に説明もなくあり、世界観を説明してくれています。曰く「ディストピアだよ」と。


今、書店にいくと、ディストピアのコーナーがちょこっとできていたりします。過去の名作も新調されちゃったりして、なんで?って思うと、この世界を知ることで、自分たちの世界を知れるからだと思います。

さぁ、今日もディストピアディストピア。




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